私の痛んだ足も徐々に回復しているようで、痛みも大分薄らいできております。
例の鬼の様に恐い老医師が、「どうですか。まだ痛みはありますか。」と問われます。
私も「もう、ほとんどありませんね。「と答えます。すると、老医師は
「では、そこのベッドに横になって下さい。」とおっしゃいます。
私はベッドに横になります。すると老医師は私の足の先を掴み、
左右に力いっぱい捻るのです。
私は思わず、「痛い!」と叫びます。すると老医師は「そうでしょ。まだまだですね。」
と言いながら、ニヤリと笑います。
「先生そんなに力一杯捻ったら健康な方でも痛いのでは。」と思いながらも、
「はい、そうですね。まだまだですね。と素直に返事をするのでありました。
最後に老医師は、
「大分快方に向かっているようですね。当分杖は使わないで様子を見ましょう。
でも、これ以上悪くなったら、手術ですよ。」とおっしゃいます。
私は、手術は恐いけれど、半年余り続いた杖の生活から解放されるのは、
何よりもまして嬉しかったので、老医師に御礼を述べると
嬉々として病院を後にするのでした。
杖を突いて生活をしていた時、健康な時には気が付かなかった事に気が付きました。
そして、分かってきます。まず、駅の階段です。ほとんどの駅には、階段に手摺が
付いておます。しかし、小さい駅には、片側にしか手摺が付いていない所もあります。
手摺に頼らなくては昇り降りができない者にとっては、真に不便な事であります。
そして、大きな駅には、エレベーターが一基しかない駅では、時間によって
昇り専用・下り専用になっています。
人の流れに依るのでしょうが、私のように足の悪い人間にとっては、
真に不便な事であります。
また、杖を突いて電車に乗るようになった私に席を譲って下さる方に度々出会います。
その方達は、男女を問いませんし、年配の方もいらっしゃいますし、若い方もいらっしゃいます。
初めて席を譲って頂いた時には、正直驚きました。 二度・三度お断りしたことがあります。
「大丈夫ですよ、すぐ降りますから。」と丁重にお断りすると、その方は「どうぞ、お座り下さい。」
と言い残すとドアの方へ行ってしまうのです。そんな時は有難く座らせて頂きました。
私もご老人に席を譲った事があります。しかし、逆の立場になって初めて相手の気持がわかる
ようになりました。それは、こんなにも気恥ずかしく、また何とも嬉しいという気持です。
私は席を譲って下さった方を駅に着く度にチラチラと見ます。
電車を降りるその方にもう一度御礼が言いたいのです。
でもその方は私の事などもう忘れたように二度と振り返りもせず、駅に降りてしまわれるのです。
そういう事が何度も続きます。席を譲って下さる方はほとんどの方が私の事など忘れたかの
ようにドアの方へ行って、駅に降りてしまうのです。
また、通勤時の駅の構内、横断歩道、人・人・人で一杯になっている状況でも、私が杖を
突いて歩いているとみなさんが道を空けて下さるのです。
まるで、あの十戒のモーゼが海を裂いて道を造ったように一本の道ができているのです。
私はみなさんに感謝しながら、この一本の道を通らせて頂くのでありました。
私は思います。「人間とは弱い者には本当に優しいなんて素晴らしい生き物なのだろうと。」
私はこんなにも優しくして頂いた方々に、再び会って、
もう一度御礼を申し上げる機会は巡ってこないと思っています。
でも、私は幸いにも吉宗という飲食店でお客様サービス係りを務めさせて頂いております。
何も関係のないお客様には大変失礼かと思いますが、発病以来私に親切にして頂いた方々への
感謝の気持を、うちの店へ来て下さるお客様一人一人へ向ける事にしました。
私は、開店と同時に玄関に立ちます。
ご来店のお客様に「いらっしゃいませ。ご来店有難うございます。」と声を掛けます。
そして、胸の中で呟きます。
「今日は電車で席を譲って頂き、有難うございます。拙いサービスではありますが、
誠心誠意務めさせて頂きます。」とお客様一人一人に呟きます。
ただ、お客様が次々といらっしゃると舌が回らなくなります。
「いらっしゃいませ。ご来店、いや席を、いや誠心、いや・・・何名ですか。」
吉宗においでになるお客様、どうか最近玄関で一人ぶつぶつ呟いている変な奴がいると
思わないで下さい。
私はお客様一人一人に私の思いや御礼を語っているのであります。
そして、もし私に電車で席を譲って下さった方、道を譲って下さった方が
偶然に吉宗にご来店になり、我々の料理やサービスに満足してお帰りに
なられたとしたら、私にとって、こんなに素晴らしい、こんなに嬉しい恩返しは
ないのではないかと思っております。
ただ、それは神のみが知る恩返しではありますが・・・・・。
茶碗亭 はくまい